延命山 蓮花寺 高野山真言宗

延命山 蓮花寺 高野山真言宗

近年、当寺周辺では蜜蜂がブームになっている。蜜蜂が少なくなったと報道されていたが、当寺周辺では沢山飛んでいる。受粉の為に飼育する方も居れば、蜂蜜の採取が目的の人など様々だ。そういった方の恩恵で日本みつばち・西洋みつばちの蜂蜜を頂いたりする。私は年一度の焼八千枚護摩供や毎月の一七日の行の時などよく蜂蜜を食す。現役ボクサーに教えて頂いたのだが、減量中でも少量蜂蜜をとることで筋肉を落とさずに体重を絞ることができるそうだ。私には減量は関係ないが、筋肉を落さずというのはありがたい。当地のみつばちには2種類あり、西洋みつばちと日本みつばちの2種類。西洋みつばちは一種類の蜜だけを集めレンゲだとレンゲだけの蜜、菩提樹だと菩提樹だけの蜜を集めるといった具合で、その個別の味を楽しむために個々に瓶詰めして販売されている。それに対して日本みつばちは自分の蜜を集めるエリア一帯の蜜一切を集めるそうで、この蜜は細分化されていないだけに、実に奥深い味があって非常に美味しい。

 この人は、新年早々なにをみつばちや蜂蜜について語っているのだと思われそうなのだが、この日本みつばちと西洋みつばちでふと思ったことがある。それは思想が似ているということだ。近年西洋文化の波におされ、物事を細分化することが主流で、曖昧なことは退け、白か黒はっきりさせるような世の中だ。白と黒を混ぜた灰色的なことは必要としない。レンゲの蜜はレンゲの蜜だという主張のようにも聞こえる。しかし諸先輩と接していると、その白と黒を混ぜたような答えが多かったり、こちらの答えによって、その背景を汲んでくれ、さらにはヒントを与えてくれたりする。まるで、日本みつばちがエリア内の蜜を集めるかのように、自分の中の経験・知識を総動員させて接してくれていると最近つくづく思う。先の大震災の時、日本人の行動を見て多くの海外の方は日本人を見直したと聞く。それは自分自身が困っておっても、お互いを助け合うという気質。これは他の国にはあまりないそうだ。先日のフィリピンの台風の被害でも、日本人を見習い助け合うということを優先的にしたので、物資の困窮も略奪などの争いも少なかったそうだ。異国が日本を見直すなか、わが国は細分化によって迷っているようにも見受けられる。細分化によって医学は発達したが、かえって病気は増えたのではないか。メニュー表示を細分化することにより偽装も増えたのではないか。
 
新たな年に、ここは一度、細分化を含めた融合の世界観で見てはいかがであろうか。我々にはお大師様の広大かつ融合された思想がある。お大師さまはいち早く、日本古来からの宗教、神の国の思想をくみ取り自らが請来した密教に取り入れ融合させた。伊勢神宮の20年に一度の遷宮もお大師様のアイデアだと聞く。お大師様の広大かつ融合された思想にあるかぎ鍵とかぎ鑰。お大師様の著書、般若心経秘鍵と秘蔵宝鑰にある。両方ともカギとも読むが役割は違う。鍵は差し込む方のカギで、鑰は受け取る側のカギ。玄関のカギで例えれば、持ち運ぶ方のカギは鍵、ドアにある差し込まれる方を鑰といい、古の人は細分化している。どちらも対でなければカギとしての役目が成り立たない。細分化しただけでどちらか一方の鍵・鑰だけを見ていると使い方さえわからない。ご承知のように秘蔵宝鑰という書は秘密曼荼羅十住心論をさらにわかりやすくした書で、大日経を紐解き胎蔵界を表す。対して般若心経秘鍵は金剛界を表す。胎蔵界は物質世界のことで金剛界は精神世界のこと。お大師様は上手く字を使い分け実に妙なる表現をしておられる。物質世界に精神世界の鍵を差込み適合さすことによって開かれる妙なる世界があるだと。お大師様は現在の私たちに細分化しただけではなく、妙なる適合をさせる事により答えを導きだせと説黙しているのかも知れない。その答えを開くかぎ鍵とかぎ鑰は各々にあり、この混沌をした世の中をいかに生き抜くかによって、その世界の扉が開かれるに違いない。

延命山 蓮花寺 高野山真言宗

近年は、科学社会といわれるだけあり、科学技術の進歩はすさまじく、世の中がめまぐるしいスピードでうつり変わっています。以前であれば神や仏に祈っていたことでさえも、科学の発達で用意に実現できるような世の中になってきました。中には自然の摂理を超えたものまであり、恐ろしくなってしまいます。
 
古来の人は科学などを知らない為、自然から多くを学んだと思えるようなところがありますが、近代では科学の発達によって、自然の道理を越えていくようなところがあります。
例えば、柿の木に、リンゴを実らせようなどとします。それを、もの珍しがってしまうのが近代人でしょう。

柿の木は、柿の木としての自らの役割を自覚しており、またそれを忠実に守っておるから、美味しい果実を実らすのです。リンゴだってそうです。柿の木には柿が実り、桃の木には桃が、桜の木には桜の花が咲きます。桜の木にバラの花が咲けば、なんだかおかしな気がします。

自分のことをよく観て、自分のなすべきことをしなさいという教えが「如實知自心」ということでありましょう。

高野山では現在、大工さんが中門を再建されております。どんなに科学が発達しておっても、こういった再建には、古来の技法がほとんどであります。先ほどの、柿の木と一緒にすれば、大工さんは気分を悪くされるかもしれませんが、根本は同じです。柿の木が一生懸命、柿の実を実らせようと努力しているのと同じように、大工さんも自らの役割をしっかりと観て、自在に道具を用い、一本一本の木が持つ個性特性をいかして、再建してくれております。匠の技とは己の技量を知っていないと到底できないものであります。

お大師様は今から1200年ほど前に、修禅の道場として高野山を開かれました。上奏文にもありますように、上は国家の奉為、下はもろもろの修行者の為とあります。このことを、今一度見直す時ではないでしょうか。生きとし生ける者の幸せを願い、お大師様は願い続けてくれております。今、私たちは大いなる修行道場に生きるものとして、自分の個性特性を自覚する。各々が自覚しておるから、活き活きとした生活ができ、互いに助け合い供養しあえる。そんな世界をお大師様も理想とされたことでしょう。お大師様の教えは幾年たっても、変わらず色あせておりません。時代に翻弄されず、自らの然るべき道を進むために、お大師様の教えをもって、昨年までとは違う元旦の計をお持ちになられても良いのではないでしょうか。 

延命山 蓮花寺 高野山真言宗

新たな年を迎え華やかな話題が数多く取り上げられております。高野山の中門再建も華やかな話題のひとつではないでしょうか。

中門を再建する事で、高野山壇上伽藍の少し不足していた部分が補われ、聖地としてのハード面の強化は、十分見込めると思います。ハード面が整うと、次はソフト面が気になります。ハードとソフトは表裏一体で、密教的に言いかえるならば、物質的・精神的といった所でしょう。いわば、物と心。物と心は全く別物ととらえがちですが、物質なくして心は無く、心無くして物質はありません。こういった事を「物心不二」「物心一如」と申したりします。
 
近年、私たちの生活は非常に豊かになったと思っています。それは物質が豊かになったということでしょう。しかし、物質が豊かになった反面、心の豊かさがおろそかになっていると嘆かれているように思います。物質が豊かになり、生活が便利になったのは科学の恩恵といって過言ではないでしょう。科学の恩恵は受け取る側の努力は、さほど必要なく容易に万人に与えられています。しかし、精神文化の恩恵を受け取るには、受け取る側にそれなりの心構えが無い場合、容易には受け取る事ができません。

現代の私たちが、精神文化の恩恵を受け取る為に、お大師様のお言葉からヒントを得ましょう。お大師様の著書「弁顕密二教論」の中にある2つの秘密 「如来の秘密」「衆生の自秘」と解釈できる所があります。

 「如来の秘密」とは、基本もできていない人にいきなり応用技を教えても、その人の為にならないので秘密にしておくということ。「衆生の自秘」とは、いつでもつまびらかにしておるのに、受け取る側の目が霞んでいて良く見えていない。隠しているつもりはないのに、受け取る側の準備ができていないので気付いてくれないということ。お大師様の頃より続く精神文化により、心を発展されるチャンスは機多とあるのに、それに気付いていない我々。 私は、このことをよくラジオにたとえて申します。ラジオは電源を入れ、波長を合わせれば、様々な放送を聴くことができます。放送を聴く為には、電源を入れ波長を合わせる事が必要で、少しでも波長がずれていれば、ザーという音だけ聞こえ放送を聴くことができません。日本で唯一、お大師様の御体と思想の残る高野山。高野山のハード面が整う今、自らの電源を入れ、神仏そして、お大師様と波長を合わせて頂き、済世利人にすばらしき思想を残したお大師様の弟子として、今一度、物質の整う今だからこそ、心の豊かさを求めてみてはいかがでしょうか。   合掌

 

近年、当寺周辺では蜜蜂がブームになっている。蜜蜂が少なくなったと報道されていたが、当寺周辺では沢山飛んでいる。受粉の為に飼育する方も居れば、蜂蜜の採取が目的の人など様々だ。そういった方の恩恵で日本みつばち・西洋みつばちの蜂蜜を頂いたりする。私は年一度の焼八千枚護摩供や毎月の一七日の行の時などよく蜂蜜を食す。現役ボクサーに教えて頂いたのだが、減量中でも少量蜂蜜をとることで筋肉を落とさずに体重を絞ることができるそうだ。私には減量は関係ないが、筋肉を落さずというのはありがたい。当地のみつばちには2種類あり、西洋みつばちと日本みつばちの2種類。西洋みつばちは一種類の蜜だけを集めレンゲだとレンゲだけの蜜、菩提樹だと菩提樹だけの蜜を集めるといった具合で、その個別の味を楽しむために個々に瓶詰めして販売されている。それに対して日本みつばちは自分の蜜を集めるエリア一帯の蜜一切を集めるそうで、この蜜は細分化されていないだけに、実に奥深い味があって非常に美味しい。

 

 この人は、新年早々なにをみつばちや蜂蜜について語っているのだと思われそうなのだが、この日本みつばちと西洋みつばちでふと思ったことがある。それは思想が似ているということだ。近年西洋文化の波におされ、物事を細分化することが主流で、曖昧なことは退け、白か黒はっきりさせるような世の中だ。白と黒を混ぜた灰色的なことは必要としない。レンゲの蜜はレンゲの蜜だという主張のようにも聞こえる。しかし諸先輩と接していると、その白と黒を混ぜたような答えが多かったり、こちらの答えによって、その背景を汲んでくれ、さらにはヒントを与えてくれたりする。まるで、日本みつばちがエリア内の蜜を集めるかのように、自分の中の経験・知識を総動員させて接してくれていると最近つくづく思う。先の大震災の時、日本人の行動を見て多くの海外の方は日本人を見直したと聞く。それは自分自身が困っておっても、お互いを助け合うという気質。これは他の国にはあまりないそうだ。先日のフィリピンの台風の被害でも、日本人を見習い助け合うということを優先的にしたので、物資の困窮も略奪などの争いも少なかったそうだ。異国が日本を見直すなか、わが国は細分化によって迷っているようにも見受けられる。細分化によって医学は発達したが、かえって病気は増えたのではないか。メニュー表示を細分化することにより偽装も増えたのではないか。
 

新たな年に、ここは一度、細分化を含めた融合の世界観で見てはいかがであろうか。我々にはお大師様の広大かつ融合された思想がある。お大師さまはいち早く、日本古来からの宗教、神の国の思想をくみ取り自らが請来した密教に取り入れ融合させた。伊勢神宮の20年に一度の遷宮もお大師様のアイデアだと聞く。お大師様の広大かつ融合された思想にあるかぎ鍵とかぎ鑰。お大師様の著書、般若心経秘鍵と秘蔵宝鑰にある。両方ともカギとも読むが役割は違う。鍵は差し込む方のカギで、鑰は受け取る側のカギ。玄関のカギで例えれば、持ち運ぶ方のカギは鍵、ドアにある差し込まれる方を鑰といい、古の人は細分化している。どちらも対でなければカギとしての役目が成り立たない。細分化しただけでどちらか一方の鍵・鑰だけを見ていると使い方さえわからない。ご承知のように秘蔵宝鑰という書は秘密曼荼羅十住心論をさらにわかりやすくした書で、大日経を紐解き胎蔵界を表す。対して般若心経秘鍵は金剛界を表す。胎蔵界は物質世界のことで金剛界は精神世界のこと。お大師様は上手く字を使い分け実に妙なる表現をしておられる。物質世界に精神世界の鍵を差込み適合さすことによって開かれる妙なる世界があるだと。お大師様は現在の私たちに細分化しただけではなく、妙なる適合をさせる事により答えを導きだせと説黙しているのかも知れない。その答えを開くかぎ鍵とかぎ鑰は各々にあり、この混沌をした世の中をいかに生き抜くかによって、その世界の扉が開かれるに違いない。

新春 延命山 蓮花寺 高野山真言宗

新春 延命山 蓮花寺 高野山真言宗

近年、当寺周辺では蜜蜂がブームになっている。蜜蜂が少なくなったと報道されていたが、当寺周辺では沢山飛んでいる。受粉の為に飼育する方も居れば、蜂蜜の採取が目的の人など様々だ。そういった方の恩恵で日本みつばち・西洋みつばちの蜂蜜を頂いたりする。私は年一度の焼八千枚護摩供や毎月の一七日の行の時などよく蜂蜜を食す。現役ボクサーに教えて頂いたのだが、減量中でも少量蜂蜜をとることで筋肉を落とさずに体重を絞ることができるそうだ。私には減量は関係ないが、筋肉を落さずというのはありがたい。当地のみつばちには2種類あり、西洋みつばちと日本みつばちの2種類。西洋みつばちは一種類の蜜だけを集めレンゲだとレンゲだけの蜜、菩提樹だと菩提樹だけの蜜を集めるといった具合で、その個別の味を楽しむために個々に瓶詰めして販売されている。それに対して日本みつばちは自分の蜜を集めるエリア一帯の蜜一切を集めるそうで、この蜜は細分化されていないだけに、実に奥深い味があって非常に美味しい。

 

 この人は、新年早々なにをみつばちや蜂蜜について語っているのだと思われそうなのだが、この日本みつばちと西洋みつばちでふと思ったことがある。それは思想が似ているということだ。近年西洋文化の波におされ、物事を細分化することが主流で、曖昧なことは退け、白か黒はっきりさせるような世の中だ。白と黒を混ぜた灰色的なことは必要としない。レンゲの蜜はレンゲの蜜だという主張のようにも聞こえる。しかし諸先輩と接していると、その白と黒を混ぜたような答えが多かったり、こちらの答えによって、その背景を汲んでくれ、さらにはヒントを与えてくれたりする。まるで、日本みつばちがエリア内の蜜を集めるかのように、自分の中の経験・知識を総動員させて接してくれていると最近つくづく思う。先の大震災の時、日本人の行動を見て多くの海外の方は日本人を見直したと聞く。それは自分自身が困っておっても、お互いを助け合うという気質。これは他の国にはあまりないそうだ。先日のフィリピンの台風の被害でも、日本人を見習い助け合うということを優先的にしたので、物資の困窮も略奪などの争いも少なかったそうだ。異国が日本を見直すなか、わが国は細分化によって迷っているようにも見受けられる。細分化によって医学は発達したが、かえって病気は増えたのではないか。メニュー表示を細分化することにより偽装も増えたのではないか。
 

新たな年に、ここは一度、細分化を含めた融合の世界観で見てはいかがであろうか。我々にはお大師様の広大かつ融合された思想がある。お大師さまはいち早く、日本古来からの宗教、神の国の思想をくみ取り自らが請来した密教に取り入れ融合させた。伊勢神宮の20年に一度の遷宮もお大師様のアイデアだと聞く。お大師様の広大かつ融合された思想にあるかぎ鍵とかぎ鑰。お大師様の著書、般若心経秘鍵と秘蔵宝鑰にある。両方ともカギとも読むが役割は違う。鍵は差し込む方のカギで、鑰は受け取る側のカギ。玄関のカギで例えれば、持ち運ぶ方のカギは鍵、ドアにある差し込まれる方を鑰といい、古の人は細分化している。どちらも対でなければカギとしての役目が成り立たない。細分化しただけでどちらか一方の鍵・鑰だけを見ていると使い方さえわからない。ご承知のように秘蔵宝鑰という書は秘密曼荼羅十住心論をさらにわかりやすくした書で、大日経を紐解き胎蔵界を表す。対して般若心経秘鍵は金剛界を表す。胎蔵界は物質世界のことで金剛界は精神世界のこと。お大師様は上手く字を使い分け実に妙なる表現をしておられる。物質世界に精神世界の鍵を差込み適合さすことによって開かれる妙なる世界があるだと。お大師様は現在の私たちに細分化しただけではなく、妙なる適合をさせる事により答えを導きだせと説黙しているのかも知れない。その答えを開くかぎ鍵とかぎ鑰は各々にあり、この混沌をした世の中をいかに生き抜くかによって、その世界の扉が開かれるに違いない。

 

新たな年を迎え華やかな話題が数多く取り上げられております。高野山の中門再建も華やかな話題のひとつではないでしょうか。

 

中門を再建する事で、高野山壇上伽藍の少し不足していた部分が補われ、聖地としてのハード面の強化は、十分見込めると思います。ハード面が整うと、次はソフト面が気になります。ハードとソフトは表裏一体で、密教的に言いかえるならば、物質的・精神的といった所でしょう。いわば、物と心。物と心は全く別物ととらえがちですが、物質なくして心は無く、心無くして物質はありません。こういった事を「物心不二」「物心一如」と申したりします。
 
近年、私たちの生活は非常に豊かになったと思っています。それは物質が豊かになったということでしょう。しかし、物質が豊かになった反面、心の豊かさがおろそかになっていると嘆かれているように思います。物質が豊かになり、生活が便利になったのは科学の恩恵といって過言ではないでしょう。科学の恩恵は受け取る側の努力は、さほど必要なく容易に万人に与えられています。しかし、精神文化の恩恵を受け取るには、受け取る側にそれなりの心構えが無い場合、容易には受け取る事ができません。

 

現代の私たちが、精神文化の恩恵を受け取る為に、お大師様のお言葉からヒントを得ましょう。お大師様の著書「弁顕密二教論」の中にある2つの秘密 「如来の秘密」「衆生の自秘」と解釈できる所があります。

 

 「如来の秘密」とは、基本もできていない人にいきなり応用技を教えても、その人の為にならないので秘密にしておくということ。「衆生の自秘」とは、いつでもつまびらかにしておるのに、受け取る側の目が霞んでいて良く見えていない。隠しているつもりはないのに、受け取る側の準備ができていないので気付いてくれないということ。お大師様の頃より続く精神文化により、心を発展されるチャンスは機多とあるのに、それに気付いていない我々。 私は、このことをよくラジオにたとえて申します。ラジオは電源を入れ、波長を合わせれば、様々な放送を聴くことができます。放送を聴く為には、電源を入れ波長を合わせる事が必要で、少しでも波長がずれていれば、ザーという音だけ聞こえ放送を聴くことができません。日本で唯一、お大師様の御体と思想の残る高野山。高野山のハード面が整う今、自らの電源を入れ、神仏そして、お大師様と波長を合わせて頂き、済世利人にすばらしき思想を残したお大師様の弟子として、今一度、物質の整う今だからこそ、心の豊かさを求めてみてはいかがでしょうか。   合掌

高野山開創ハード面とソフト面 延命山 蓮花寺 高野山真言宗

高野山開創ハード面とソフト面 延命山 蓮花寺 高野山真言宗

新たな年を迎え華やかな話題が数多く取り上げられております。高野山の中門再建も華やかな話題のひとつではないでしょうか。

 

中門を再建する事で、高野山壇上伽藍の少し不足していた部分が補われ、聖地としてのハード面の強化は、十分見込めると思います。ハード面が整うと、次はソフト面が気になります。ハードとソフトは表裏一体で、密教的に言いかえるならば、物質的・精神的といった所でしょう。いわば、物と心。物と心は全く別物ととらえがちですが、物質なくして心は無く、心無くして物質はありません。こういった事を「物心不二」「物心一如」と申したりします。
 
近年、私たちの生活は非常に豊かになったと思っています。それは物質が豊かになったということでしょう。しかし、物質が豊かになった反面、心の豊かさがおろそかになっていると嘆かれているように思います。物質が豊かになり、生活が便利になったのは科学の恩恵といって過言ではないでしょう。科学の恩恵は受け取る側の努力は、さほど必要なく容易に万人に与えられています。しかし、精神文化の恩恵を受け取るには、受け取る側にそれなりの心構えが無い場合、容易には受け取る事ができません。
現代の私たちが、精神文化の恩恵を受け取る為に、お大師様のお言葉からヒントを得ましょう。お大師様の著書「弁顕密二教論」の中にある2つの秘密 「如来の秘密」「衆生の自秘」と解釈できる所があります。

 「如来の秘密」とは、基本もできていない人にいきなり応用技を教えても、その人の為にならないので秘密にしておくということ。
「衆生の自秘」とは、いつでもつまびらかにしておるのに、受け取る側の目が霞んでいて良く見えていない。隠しているつもりはないのに、受け取る側の準備ができていないので気付いてくれないということ。お大師様の頃より続く精神文化により、心を発展されるチャンスは機多とあるのに、それに気付いていない我々。 
 私は、このことをよくラジオにたとえて申します。ラジオは電源を入れ、波長を合わせれば、様々な放送を聴くことができます。放送を聴く為には、電源を入れ波長を合わせる事が必要で、少しでも波長がずれていれば、ザーという音だけ聞こえ放送を聴くことができません。日本で唯一、お大師様の御体と思想の残る高野山。高野山のハード面が整う今、自らの電源を入れ、神仏そして、お大師様と波長を合わせて頂き、済世利人にすばらしき思想を残したお大師様の弟子として、今一度、物質の整う今だからこそ、心の豊かさを求めてみてはいかがでしょうか。合掌

 

近年は、科学社会といわれるだけあり、科学技術の進歩はすさまじく、世の中がめまぐるしいスピードでうつり変わっています。以前であれば神や仏に祈っていたことでさえも、科学の発達で用意に実現できるような世の中になってきました。中には自然の摂理を超えたものまであり、恐ろしくなってしまいます。

 

古来の人は科学などを知らない為、自然から多くを学んだと思えるようなところがありますが、近代では科学の発達によって、自然の道理を越えていくようなところがあります。

例えば、柿の木に、リンゴを実らせようなどとします。それを、もの珍しがってしまうのが近代人でしょう。
 

柿の木は、柿の木としての自らの役割を自覚しており、またそれを忠実に守っておるから、美味しい果実を実らすのです。リンゴだってそうです。柿の木には柿が実り、桃の木には桃が、桜の木には桜の花が咲きます。桜の木にバラの花が咲けば、なんだかおかしな気がします。
 

自分のことをよく観て、自分のなすべきことをしなさいという教えが「如實知自心」ということでありましょう。
 

高野山では現在、大工さんが中門を再建されております。どんなに科学が発達しておっても、こういった再建には、古来の技法がほとんどであります。先ほどの、柿の木と一緒にすれば、大工さんは気分を悪くされるかもしれませんが、根本は同じです。柿の木が一生懸命、柿の実を実らせようと努力しているのと同じように、大工さんも自らの役割をしっかりと観て、自在に道具を用い、一本一本の木が持つ個性特性をいかして、再建してくれております。匠の技とは己の技量を知っていないと到底できないものであります。

 

お大師様は今から1200年ほど前に、修禅の道場として高野山を開かれました。上奏文にもありますように、上は国家の奉為、下はもろもろの修行者の為とあります。このことを、今一度見直す時ではないでしょうか。生きとし生ける者の幸せを願い、お大師様は願い続けてくれております。今、私たちは大いなる修行道場に生きるものとして、自分の個性特性を自覚する。各々が自覚しておるから、活き活きとした生活ができ、互いに助け合い供養しあえる。そんな世界をお大師様も理想とされたことでしょう。お大師様の教えは幾年たっても、変わらず色あせておりません。時代に翻弄されず、自らの然るべき道を進むために、お大師様の教えをもって、昨年までとは違う元旦の計をお持ちになられても良いのではないでしょうか。 

如実知自心

如実知自心

近年は、科学社会といわれるだけあり、科学技術の進歩はすさまじく、世の中がめまぐるしいスピードでうつり変わっています。以前であれば神や仏に祈っていたことでさえも、科学の発達で用意に実現できるような世の中になってきました。中には自然の摂理を超えたものまであり、恐ろしくなってしまいます。
 

古来の人は科学などを知らない為、自然から多くを学んだと思えるようなところがありますが、近代では科学の発達によって、自然の道理を越えていくようなところがあります。

例えば、柿の木に、リンゴを実らせようなどとします。それを、もの珍しがってしまうのが近代人でしょう。
 

柿の木は、柿の木としての自らの役割を自覚しており、またそれを忠実に守っておるから、美味しい果実を実らすのです。リンゴだってそうです。柿の木には柿が実り、桃の木には桃が、桜の木には桜の花が咲きます。桜の木にバラの花が咲けば、なんだかおかしな気がします。
 

自分のことをよく観て、自分のなすべきことをしなさいという教えが「如實知自心」ということでありましょう。
 

高野山では現在、大工さんが中門を再建されております。どんなに科学が発達しておっても、こういった再建には、古来の技法がほとんどであります。先ほどの、柿の木と一緒にすれば、大工さんは気分を悪くされるかもしれませんが、根本は同じです。柿の木が一生懸命、柿の実を実らせようと努力しているのと同じように、大工さんも自らの役割をしっかりと観て、自在に道具を用い、一本一本の木が持つ個性特性をいかして、再建してくれております。匠の技とは己の技量を知っていないと到底できないものであります。

 

お大師様は今から1200年ほど前に、修禅の道場として高野山を開かれました。上奏文にもありますように、上は国家の奉為、下はもろもろの修行者の為とあります。このことを、今一度見直す時ではないでしょうか。生きとし生ける者の幸せを願い、お大師様は願い続けてくれております。今、私たちは大いなる修行道場に生きるものとして、自分の個性特性を自覚する。各々が自覚しておるから、活き活きとした生活ができ、互いに助け合い供養しあえる。そんな世界をお大師様も理想とされたことでしょう。お大師様の教えは幾年たっても、変わらず色あせておりません。時代に翻弄されず、自らの然るべき道を進むために、お大師様の教えをもって、昨年までとは違う元旦の計をお持ちになられても良いのではないでしょうか。 

新春 延命山 蓮花寺

新春 延命山 蓮花寺

新春 延命山 蓮花寺

如実知自心 延命山 蓮花寺

如実知自心 延命山 蓮花寺

如実知自心 延命山 蓮花寺

高野山 開創ハード面とソフト面 延命山 蓮花寺

高野山 開創ハード面とソフト面 延命山 蓮花寺

高野山 開創ハード面とソフト面 延命山 蓮花寺

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